【努力は必ず報われる】のか? 【努力が報われる時もあるし、報われない努力だってある。】 【努力と結果に相関はあるかもしれないけど、因果は無い】 【努力と結果は無関係】  

このインタビューをテレビで見たとき、少しだけ「もやっ」とした。そんな気持ちでネットを見るからそんな情報ばかり集まってくる。 
彼女やその言葉を批判するつもりはなくて、彼女が語る言葉の意味と受け取る人の言葉の意味を分けて考えたいと思っています。

いろいろな方のツイートを見ていて、良い時代になったのだと感じている
昭和40年代生まれの自分は、「努力は報われる」というのが当たり前の世の中だった。 

当時のアメリカ映画に多かった「Winner takes it all!」が大好きだったけど、全員が勝てるわけじゃない。負けた人はどうなるんだろう?とは思っていた。

 

スポーツの世界だと練習は嘘をつかない、みたいな事をいう事もあるけど、練習は嘘つきますよね?
届かないものは届かないし、届くものは届く。

唯一嘘をつかないのは、結果だと思う。

 

Not doing,but Being.

という言葉がある。
行為ではなく、存在に目を向ける。
努力という行為に価値があるわけではなく、努力するあなたの存在に価値をむける。
努力をするかどうかではなく、あなたの価値は素晴らしいと伝える

報われるから努力するんじゃない、あなたの価値が報われる努力を伴っているだけ。

彼女が努力したから報われたんじゃない、彼女の価値が報われるという結果を引き寄せただけ。

何かをするからうまくいくんじゃなくて、うまくいく人になることが大切。


コミュニケーションについて学んでいると、「人は何を言うかではなく、誰が言うかの情報量のほうが多い」と学ぶことがある。

だから詐欺がなりたつのだと思う。
だから相手にとってどういう自分であるかが重要なのだと思う。

努力は必ず報われる。そんな事はありえないのはみんな十分承知している。

例えば「報われるに至った努力のみを努力と呼ぶ」みたいな詭弁を使えば成り立ちはするし、僕も子供にそう話していた時期もある。

けど、世の中はそんなに単純じゃない。

今は子供にこう伝えたい。

 【努力が報われる時もあるし、報われない努力だってある。】

【努力と結果に相関はあるかもしれないけど、因果は無い】

【努力と結果は無関係】

 

福祉の理念とその伝え方について考えてみる

■「ありがとう」を言われるために仕事をしているわけでは無い

「やりがい」と「ありがとう」に出会える仕事です!

 これは、ある福祉系の求人資料で見かけた言葉です。

これを見て責任者の方と話しました。連絡をする事でもためらいがありましたが、伝えない事には始まらないと思い会話をし、思いを伝えました。

丁寧に聞いていただいて、意図も十分に伝わったのですが、会話を終えた後、どうしても「違和感」が消えないというか、時間が経つほどヒートアップしてきて、結構怒っている自分を自覚してきたので、「もやもや」を整理するためにも書きなぐります。

僕は、社会福祉や介護についてやその本質、支援することの本質について学ぶ中で、「ありがとう」と言われることがその本質から遠い位置にあると考えています。

少なくとも、「ありがとう」を言われるためにに仕事をしているわけではありませんし、それが「やりがい」でも「目的」でもありません。

 

■「ありがとうと言われない介護」

「ありがとうと言われない介護」を目指す by 小室 貴之

という言葉を聴いた時の衝撃を今でも覚えています。

支援をする時、僕らは「ありがとう」と言われることを目的にしてはいけません。

支援を受ける方が僕らの支援を評価してくれる指標として、「ありがとう」と言われることを使うことはあるかもしれないけど、それが目的になることは有り得ません。

大切なのは、支援をしている事が伝わること、支援を受ける人を気にかけていることが伝わることです。もちろん、目に見える成果は大切だけど、成果が出ない時もあるし、事故が起こることもある。支援を受ける方が、自分自身を今のままで素晴らしい存在なんだと、感じ・理解してもらうことが大切です。

「他人の役に立ちたい」
「誰かのために力を尽くしたい」

というのは、素晴らしい思いですが、自分が他人の役に立つという行為の本質は「役に立てる自分」を確認するためなのだと思います。「役に立てる自分」を確認するために、支援という行為と相手を利用している事を自覚するべきです。

特に、求人の場面で「ありがとう」に出会える職場という言葉を使う時は、その言葉の意味を正確に伝えることに気をつけるべきですし、それは、かなり難しい事だとは思います。

 

■「ある」けど「無い」もの

すぐれたデザインは感じることが出来ない。存在を感じさせずに意図が具現化されるのが優れたデザインである。

という話を聞いたことがあります。

本当に優れた支援は、空気のように見えないものなのかもしれません。存在を知覚されずに支援として機能する。存在を知覚されていなければ、「ありがとう」と言われるはずもありません。人が生きるために空気や水が必要なように、そこの「ある」けど「無い」もの。人生を生きるのに必要とされながらも望まれないもの、それが支援の一つの本質なのかもしれないと思います。 

だからこそ、支援の本質は寄り添うことにあって、相手への直接的な行為を含まないのだと思います。寄り添うこと、関心を持つこと、関心がある事を伝えること。

傍らにいることを許されたら、支援としては十分な成果なのだと思います。

 

■「やりがい」について考えてみる

「やりがい」についも違和感がありてます。

福祉の仕事に限らず、「やりがい」はあるはずです。なので、福祉の仕事にどんな「やりがい」があるのかを伝えるべきだと思います。

また、一方では「やりがい」は個人個人違うので、感じることができると断定できるはずもありません。現代の福祉理念の根幹を為す「ノーマライゼーション」は「個人の尊厳」をまもり「当たり前の生活」を送ることを掲げています。その福祉の仕事の求人で「個々の違い」に配慮した言葉を選ぶべきなのだと思います。

そういう意味では、「やりがい」に出会えるという文章は秀逸だと感じました。

 

■「モチベーション」について

「モチベーション」について相談されることもあって、そのときに思ったことですが、「モチベーション」って与えられるものではなくて、自分でどっかから引っ張ってくるものだと思います。それに、プロや専門職として働いている以上、「モチベーション」があろうが、無かろうが提供するサービスの質は高い状態を維持すべきです。

なので、「モチベーション」の出し方を考えるより、「モチベーション」の高低に関わらずに、一定の品質を保てるシステムや方法を考えるべきでしょう。

ラーメン屋さんが「モチベーション」が低くて、不味いラーメンを出してたら、怒るでしょう?

 

■福祉の理念とその伝え方について考えてみる

 と、ここまで書いて、冒頭の言葉の変わりに何を書けばよかったのか?

正直難しいです

 

「やりがい」と「ありがとう」に出会える仕事です!

           ↓

人は皆、今のままで、価値ある素晴らしい存在だと、伝え・感じる仕事です!

ってどうですか?

 

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※この図は本文とは関係ありません。

糧と枷

私事ですが、
平成30年4月21 日 祖母が永眠いたしました。
大正9年生まれ、享年97歳。

近親の葬儀は30年前の祖父以来で、わからないことも多かったですが、
22日に通夜、23日に葬儀を無事に終えました。

1ヶ月前ほどから経口摂食できなくなり、1週間程前から水分も取れなくなっていました。認知症のため7年程前から僕のことはわからなくなり、入院を経て特養に入居。その後2年ほどで永眠いたしました。

内孫の初孫としてとても可愛がってもらいましたし、多くのことを教えてもらいました。祖母の僕に対する口癖は「一を聞いて十を知れ」で、叩き込まれたこの言葉のおかげで、物事の原理原則や理論、本質に興味が向く性質を持つことが出来ました。

祖母に教えてもらった数多くの事々は、今でも「糧と枷」として、僕の支えとなっています。永眠から葬儀までの間に、目の前で起こる様々なことは、僕に多くのことを教えてくれました。最後まで、僕を導いてくれた祖母には感謝しかありません。

4才で養子となり、「おしん」を甘い。というほどの環境で過ごし、4人の子をもうけて、3人を育て上げ。6人の孫、13人のひ孫のほとんどが葬儀に集まりました。

1ヶ月ほど前に特養に面会に行った時に会ったのが最後となりました。

祖母の生涯が幸せであったかどうかを、僕が決めることは出来ませんが。祖母に教えられたことを次に伝えていこうと思います。

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『利用者様に教えていただけたこと』

 拙文が ある賞 をいただいたので、記念にポストします。

一発目の原稿の段階で、現行用紙6枚あったものを2枚にシュリンクしたので、意味不明なところもありますが、やはり受賞はうれしかったので。ポストをすることをお許しください。

www.yic.ac.jp

 

『利用者様に教えていただけたこと』

「あんた、この前いなかったけどどうしたの?」

出勤して、ある利用者の方にあいさつした時、こう聴かれました。

「こんな、おばあさんでもね、知ってる人の姿が見えないと心配なのよ」

「すいませんでしたね、ありがとうございます。」

いつものように、そう答えた時、自分の心で「ブンっ」と音がして、「はっ」と気づくことがありました。すっとその場を離れ相談室に入り、声をあげて嗚咽していました。

 

介護の仕事に就いて、職場で一定の成果を出してきたことに誇りをもって、仕事をしてきました。福祉のことを学びたくて、社会福祉士の通信教育を受け、スクーリングで同じ志の仲間と出会い、介護の仕事、福祉の領域の仕事に携わることに、誇りと喜びを感じていました。

 

生活相談員としてデイサービスに努めていると、ご利用希望のご高齢の方を様々な事情でお断りすることがあります。6年務めていると、いつからか、僕が利用を許可しているような感覚に陥っていました。

 

そんな時に利用者様の冒頭のことばを聞いたとき、それが違うということに気づかされました。

 

逆でした。

 

利用者様は僕達がケアすることに許可を出してくれていたのだと気づきました。その事が僕の心を深く動かしたのでした。

 

人生の大先輩である利用者様は、いつも僕たちを気にかけおられて、僕たちがケアをする事に許可を出し続けておられます。

 

日々の仕事は大変なことも多いけど、あの日のあと、僕は毎日こう思います。

「今日も、あの職場に行こう。人生の大先輩である利用者様の許可と愛が満ち溢れたあの職場に。今日も利用者様の許可と愛に相応したケアを提供しよう。」

シン・ゴジラ 感想

シン・ゴジラ とりあえず、4回観ました。

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1回目は1人で
2回目は奥さんと
3回目は長男(大3)次男(高2)と
4回目は1人で観ました、公開している間は、できる限り観ようと思います。
心に刻み付けよう

最初からずっと泣いてます。
最初から最後まで、歯を食いしばって観ました。

 僕にとって、とても大切な映画になりました。一生観ようと思います。

 

以下は、FBに投稿した感想です。
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 シン・ゴジラ

今、見終わりました
なんというか、もう幸せな気持ちでいっぱいです

僕はエヴァのファンではないですが、庵野総監督、樋口監督の手がけて来たものを見続けてきた者にとって、かけがえのない素敵な映画でした。

同世代を生きている者として
今、この時代にこの時にこの映画が封切られた事に感謝です

今だからできる事、
今しか出来ないもの、
今伝えねばならないこと、
思いと技術と熱意が結実した結晶

出来ること
したい事
すべき事が
1つになった
素晴らしい作品を見せてもらいました

本当にありがとう
生きる勇気をもらいました

m(_ _)m
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 この時からほとんど変わっていませんが、以下、ネタバレありの感想です。

現時点でも、制作側のインタビューや考察記事を一切読まずに書いていますので、ご承知おきください。

 まず、画から

明朝体はともかく
庵野氏の好む構図、人物が見切れるまで寄る画や、
人物正面の画、ピントによる視線の誘導など、庵野氏っぽい画が印象的でした
音楽では、録音時のマイクの位置が違うというか、楽器がすぐ側でなっているような感じを受けました。臨場感が増してます。

これは、もちろん特撮でゴジラ映画ですが、僕には「災害にあっても、くじけず自らの責任を粛々と果たす人々」を撮った映画だと思います。
多くの市井の人々に向けられた、優しい目線と丁寧な描写、こうした描写を庵野氏が描く事の意味に想いを馳せる時、僕の心を深く大きく揺り動かしています。

 

庵野氏にとっても、東北の震災は大きな意味を持っていたのかなぁ、アニメという仮想のフィールドでリアリティを突き詰めてきた庵野氏にとって、震災の、津波の映像はどう映ったんだろう


僕にはこの映画が、震災を経た表現者としての庵野氏の回答のように感じています。
白組のCGも凄いですが、フルCGでゴジラを表現出来る今だからこそ、CGで震災や津波のリアリティに迫る映像を映し出せる今だからこそ、産み出された結晶かなとも思います。


ミニチュアを併用したり、移動車からのあおりで巨大感を演出する手法は平成ガメラで多用された樋口氏の手法ですが、そうした庵野氏の人脈をフル活用した奇跡のよ
うな作品です。


パシフィック・リム」とゴジラ愛とリスペクトに溢れすぎているギャレス・エドワーズ監督の「GODZILLA ゴジラ(2014)』を経て、天才庵野氏の創る特撮のゴジラ映画が市井の人々に焦点を向ける事がとても感慨深いです。

メインの人だけではない、支える人びと

ゴミを捨てる人、
掃除をする人、
徹夜して倒れるように眠る上司の横で、黙々と作業を続ける人
老人を救助する消防士
老いた母を背負って非難する息子
そのどこかに、自分を重ね合わせることができるのかもしれない。

もちろん、ゴジラというファンタジーだけど、それを受ける現象を徹底的に突き詰めて表現することで、リアリティを感じられるのだと思っています。

いくつか、震えるポイントはあるのだけど、チームが最初に集められた時のセリフがぐっときます。そして誰一人人と目を合わせないチームのメンバーたち
なんか、シンパシーしか感じません。

自衛隊を上げすぎとか、政治家を上げすぎとか思う人もいると思うし、ご都合主義なのは映画なんだから当然なんだと思う。

すべき時にすべき事をちゃんとやる。
なぜなら、仕事だから。
思いなんか、あって当たり前。
でも、それを理由にしない。
それがプロなんだと。
何かを為すときに、理由なんか無い。
自分がやりたいから、
自分にできること、
自分がすべきと思うことをやる

間違っていたら、謝ればいい。
やり直せば良い

何があっても歩み続ける



そんな、メッセージを感じました。

後にも、先にもこんな作品は出てこないだろうな、奇跡の結晶のような映画。

 

Twitterで回った、蒲田ロケ時にエキストラに配られた演技指導文書に

「この映画を1ミリでも質の高い映画にするために、何十年、百年単位で語り継がれる映画にするために、皆様の力をお貸しください。・・・」

とありました。

スタッフのすべてにこの意識がある現場、

庵野氏という天才が、想いと覚悟を持っていどんだであるゴジラ映画、

その制作を支えようとするスタッフを心から素晴らしいと思います。

もう一度言います。

この作品を産み出してくれた方々すべてに感謝します。
本当にありがとう。

百年語り継ぎます。

一生見続けます。

本当にありがとうございます。

m(_ _)m

 

 

小学校卒業式 PTA会長挨拶 全文

卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。

また、卒業生の保護者の皆様、お子様のご卒業、おめでとうございます

小さい体にランドセルを背負ったお二人の入学式の様子を今でも覚えています。
あれから6年経つんですね、
しっかりと勉強できましたか? 
楽しい6年間でしたか? 

毎年の9月の運動会で組体操や一輪車に懸命に取り組む姿に、
いつもその成長を感じていました。
カメラを抱えたまま、感動で何度も涙しました。
6年間本当に大きく成長しましたね。

みなさんが今日で卒業する小学校は、
ゲームに例えると、ステージ1の2をクリアしたくらいです。

この人生という名のゲームは難易度がハードモードしかありません。
あと、HPは少し増えた後減り始めますが、ライフは1しか無いので、
コンティニューもできませんし。
ライフがなくなるとゲームオーバーになります。
リセットすることもできませんし、
強くてニューゲームもありません。

中ボスはたくさんいますが、
ラスボスがいないので、クリア条件がはっきりしません。

みなさんは、この人生という名のゲームの次のステージに向かうことになります。

みなさんが学んできた知識や経験は、武器として戦う助けになるでしょう。
6年間、お互い自身や先生、家族に支えられて育んできた心は、
2人を守る盾となってくれるでしょう

これから中学校、高校と進んで磨いた知識や知恵を武器にして、
これから経験を糧にして更に鍛えて磨いていく心を盾にして、
自分の本当にやりたいことをしてください

僕達は少し先のステージで戦っているので、君たちを助けることはできません。
あなたの人生はあなた自身のものです。 
親のものでも家族のものでもなく、あなた自身のものなのです。
わがままといわれようが、ズルいといわれようが、
あなたの本当にしたいことを貫いてほしいと思っています。

みんさんに僕のすきな言葉を紹介します。

誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、
みんな仲良しで暮らしていければ楽でしょう。
しかし、もし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、
見たくない現実を見なければならない。
深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。
戦うということはそういうことだ。愚痴なら墓場で言えばいい。

人生は辛いことの連続で、素晴らしい瞬間なんでほんの一握りでです。
でも、その一握りの瞬間を最高のものにするために、
今を懸命に生きて準備をするのです。

2人の輝かしい未来を応援しています。

最後になりましたが、校長先生をはじめ、諸先生方、ならびに職員の皆様、
この2人の成長に関わっていただいた、すべての方に感謝いたします。

6年間、ほんとうに、ありがとうございました。

また、今日この学校を巣立つ2人が、
串小学校の卒業生としての誇りを持ってこれから大いに活躍されることを期待し、
お祝いの言葉とさせていただきます。