息子と話したこと・・・

 この1年程、息子の塾の送迎で毎週夜に1時間程話をする機会があった。

最近あいさつもしなくなった、扱いにくい感じの高2の息子と、そんな時間を持てたのはとても幸福なことだった。

 塾、受験勉強、時事ネタ、将来、仕事、エヴァ、ガンダム、ゲーム、夢・・・、とにかくいろんな話をした。貧乳について語ったこともあったのにコイバナが無かったのはどうかと思う。

 

 そんな中で、彼と思考実験みたいな論戦をしていて、お互いに

「この世の中の事は、絶対的なものなどなく自分しだいで変えられる。」

という結論にたどり着いた事があった。

 僕は自己啓発ものが好きなので、その時にそうした考えに惹かれていたこともあるが、とても面白い体験だった。

 

 息子が中2の時に、千葉県から山口に引っ越してきた。彼は都会から来た転校生みたいな状況で、僕自身は仕事を探すところから始まっていたこともあって、息子の状況をフォロー出来ずにいた。

 結局、クラスで浮いてたり、部活で少しイジメられていたりしたのだが、その都度少し介入したりしたことを話してたら、もともと元の中学でもイジメられていたことを打ち明けられた。

 イジメに関しては引越しをしたので、回避できていたのだが、引越し後も辛い目にあっていたみたいだった。結局、彼はほぼ自力で引越し後の状況を解決していた。そのことがとても凄いことだと伝えたりした。

 

 彼は、自分はコミュ障なのだといった。両親ともそうだから、そこは仕方無いのだが、彼は自分なりの苦労の中で、いろいろ試していて、

「最近、生活の中で挨拶がとても大切だと思う。」と言ってた。

「自分から挨拶をすることで、周囲が変わっていく。」とも話していた。

 僕自身もそう思っていることもあって。

「そこに気づけたのは凄い」

「自分が変わることで周囲を変化させるできる」

「自分がそれ(変化を起こせること)を知ることが、自分の周囲や環境を変えていく。」

「自分への救いの手やチャンス、希望。運や不運は誰にでも均等に身の回りにあって、自分がそれに気づければ、その救いの手を握ることができる。」

みたいな話をしていた。

「結局それに気づくために、学び、考え、行動するのだ。

だから、勉強しとけ」と結局勉強に結びつけてしまったが・・・

 

 もちろん、人との関係性はそうだけれど、実は物質だって同じこと。

 量子力学では、物を観測すること、観測者の認識が、事象の観測結果に影響を与えることは、何十年も前から知られていた。 ここらへんは、僕自身にも難しく本当の意味では理解できていないし、wikipediaを読んでも皆目分からない。

 

 理系だと良く耳にする「シュレディンガーの猫」の思考実験なんかは少しはわかりやすい。

 でもこの息子との会話で大切だったのは、

「観測するまでは、事象の状態はわからない」

「観測者の認識が事象の在り様を決定づける。」

という事。

 

「極論を言えば、ここにあるテーブルは、

自分が認識しているからそこにある。」

「 そこにあると知らなければ、無いのと同じ。 」

「確実に無い、というふうに認識を変えられれば、

テーブルを手がすり抜けることも出来るんじゃないか?」

みたいな話をした。

 

 物質ですら、認識によって在り様を変える。

 物の存在そのものがあやふやで、それは自分の認識で決定されている。

 自分の認識や思いは周囲の物質にだって影響を与えることができるのだ、だから人との関係性や周囲の環境なんて変えられて当たり前だと思うのだ。

 

 「自分が認識を変えることで周囲を変化させることができる。

  そう思えれば、少しは今が楽しくなるじゃん。」

 

みたいな、結論に息子と二人で達したのでした。

 

考えてみれば、それは至極当たり前のこと・・・・

だけど、意識しないと忘れてしまいがちな大切なことだと思うのです。